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峠 最後のサムライ(2020)D〜長岡藩の長老・河井継之助


峠 最後のサムライ(2020)D〜長岡藩の長老・河井継之助

★数行で映画紹介しなければ
戊辰戦争が勃発。越後の小藩、
長岡藩の長老・河井継之助は東軍西軍いずれにも属さず、
近代兵器を備えてスイスのような武装中立を目指した。

★ショウトしょうとSHORT

いつもながら役所広司さんの演技は素晴らしい。

長いものには巻かれろ
河井継之助の判断が甘いだけに思えた。
徳川慶喜に学ぶべき。
戦わず恭順だったのでは?

近代兵器も織田信長のように装備しないと、
戦っても無駄。

========
★概要ネタバレは基本情報のあとに
========

★基本情報
監督 小泉堯史
脚本 小泉堯史
原作 司馬遼太郎『峠』
製作 伊藤伴雄
関根真吾
製作総指揮 黒田康太
小助川典子
ナレーター 松たか子
出演者 役所広司
松たか子
香川京子
田中泯
東出昌大
芳根京子
坂東龍汰
榎木孝明
渡辺大
AKIRA
永山絢斗
佐々木蔵之介
井川比佐志
山本學
吉岡秀隆
仲代達矢
音楽 加古隆
主題歌 石川さゆり「何処へ」
撮影 上田正治
北澤弘之
編集 阿賀英登
制作会社 松竹撮影所
ディグ&フェローズ
製作会社 「峠 最後のサムライ」製作委員会
配給 松竹
アスミック・エース
公開 日本の旗 2022年6月17日
当初は2020年9月25日に公開が予定されていたが、
新型コロナウイルスの影響で2021年7月1日公開予定に延期となった。
しかし同年5月24日に再び延期が発表され、
計3回の延期を経て2022年6月17日に公開された。

上映時間 114分

★概要ネタバレ
慶応3年10月。
徳川慶喜が旗本を集め「政権を朝廷へ返上する」と伝えました。
大政奉還により、260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎えた。

薩摩藩と長州藩の薩長勢力は満足しませんでした。
徳川家の権力を完全消滅させるために王政復古の大号令を発布し、
明治新政府の樹立を宣言。
政権の掌握に成功した西軍は鳥羽伏見の戦いをきっかけに、
慶応4年1月、戊辰戦争へと発展させた。

越後国を治めていた長岡藩は藩主牧野雪堂のもと家老に就任した
河井継之助が藩政の改革を行っていた。
江戸や長崎を遊学した経験を持つ継之助は広い知見を得ており、
日本が東軍か西軍か二分する中、戦争を回避しようとガトリング砲などの近代兵器を備えて
長岡藩をスイスのような武装中立の藩にする準備を進めていた。

西軍は天皇家の菊紋が入った錦旗を掲げたため官軍となり、
東軍は図らずも賊軍とされてしまいました。
どちらに付くべきか藩論も二分される中で、物騒な世の中になっていきました。
継之助は妻おすがと酒を飲みながら束の間の幸せをかみしめた。

東軍の中心となる会津藩討伐のため北を目指した西軍が、
長岡にほど近い小千谷まで迫ってきました。

慶応4年5月。
継之助は小千谷の慈眼寺を訪れました。
新政府軍監、土佐藩の岩村精一郎と会談をするためです。
継之助は雪堂から託された嘆願書を差し出し、
民たちをこれ以上犠牲にしないよう平和的解決のための調停役を申し出ました。
精一郎は激怒した。
上納金の献上も遅れていながら嘆願書まで受取れと言う継之助を断固拒否。
さっさと立ち去ってしまう。

なんとしてでも戦争を避けたい継之助は諦めない。

(継之助の過ち? なぜ もっと先に判断できなかった?)

何時間たっても慈眼寺から離れず、門番に何度も謁見を訴えた。
あたりはすっかり暗くなっていました。
睡眠を邪魔された精一郎は継之助を強制的に追い払い、会談は決裂。
継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と戦う決断を下した。

長岡藩は奥羽越列藩同盟に加盟し、北越戦争を開戦させた。
長岡藩兵は山本帯刀らによる近代的な訓練と最新兵器の武装により、
大軍を率いた西軍と互角に戦いましたが、
絶対的な兵力に劣る長岡軍は少しずつ押され始めていきます。

そして5月19日。守りが甘かった信濃川を西軍が強行渡河し、
長岡城を奪われてしまいました。

継之助は奇襲を思いつきます。
湿地帯の八丁沖の沼を深夜にかけて渡り、長岡城を奪還するという作戦です。
7月24日、夕刻。この地を知り尽くしている鬼頭熊次郎を先頭に渡沼作戦は実施され、
翌日、長岡城を奪還しました。
一度落城した城が奪還されることは異例の事態でもありました。
この時に継之助は左足に流れ弾を受け重傷を負ってしまいます。

一方西軍は、一度は後退するもののすぐに体勢を立て直し反撃に出ました。
ここにきて同盟藩だった新発田藩の寝返りが判明し、
兵力を失った東軍は攻撃に耐えることができず、
7月29日に長岡城は再び落城。
奪還からわずか4日後のことでした。
こうして北越戦争は西軍の勝利に終わりました。

傷が悪化した継之助はもはや1人で歩くことができず、
担がれながら会津に向けて八十里峠を渡りました。
会津で最後の戦いをするつもりだった。

途中でこれ以上は進むことはできないと判断した
継之助は従僕の松蔵だけを残し、
付き人らと別れて会津塩沢で休む。

8月15日。
継之助は松蔵を呼び言いました。
「火葬の仕度をしてくれ」と。
翌日、継之助は息を引き取りました。

おすがは継之助の句を詠んだ。

形こそ 深山がくれの 朽木なれ
心は花に なさばなりなん

THE END
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筆者の公式サイト
話題の映画とか一過性の映画でなくて、
100年経過しても名作と言われる映画を追いかける
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