ヴィクトリア女王 最期の秘密~概要ですが最後までネタバレ編
概要ですが最後までネタバレ
1887年、インド女帝でもある英国のヴィクトリア女王は在位50周年を迎えていた。
英領インドから女王への献上品である記念硬貨を捧げるために、
インド人アブドゥルとモハメドが選ばれ、二人は英国へ向かう。
女王と目を合わすことも禁じられていたが、
アブドゥルは女王の足に口づけした。
女王は「ハンサムね」と、一目ぼれしてしまう。
*
孤独だった
女王は、39年前に治世最初の首相だったメルバーン子爵を、
26年前に最愛の夫アルバート王配を、3年前に寵臣ジョン・ブラウンを、
と信愛を寄せた男性たちを次々に喪い、
さらに現在では長男のバーティ王太子はじめ子供たちとの関係も悪化し、
宮廷の因習と孤独の中にいた。
*
女王は、この『インド人』を話し相手として、
息子のように可愛がり、また『ムンシ』(師、を意味する)と呼んだ。
*
アブドゥルは、インドのことをいろいろと教えた。
女王は、未知の文化や、慣習にとらわれないアブドゥルに強く惹かれ、
旅行に同伴させる等、厚遇する。
周囲の反発を買うようになっていく。
やがてアブドゥルに妻がいたことを知ると、女王は激怒するが、
オズボーン・ハウスの別邸にアブドゥルの妻や母を呼び寄せさせる。
さらに、オズボーン・ハウス内に
インドのダルバールを模した豪華な部屋を作らせ、
アブドゥルにインド風の寸劇をさせて、側近たちに披露する。
この様子を目の当たりにしてソールズベリー首相はアブドゥルの排除を決心する。
首相の秘書の諫言により、女王はインド大反乱をめぐって、
アブドゥルがイスラム教徒寄りの偏った情報を教えたことに気が付く。
女王は嘘をつかれて激高した。
アブドゥルを英国本土から追放しようとする。
しかしよく考えると、嘘じゃなくて、女王を気遣ったことだとさとる。
彼を引き留める女王。
一方、バーティ王太子も、母である女王にアブドゥルの経歴を知らせ、
彼の『卑しい』出自を理由に排除しようとする。
女王は逆に、アブドゥルを貴族にすると言い出してしまう。
これには末端の使用人からバーティ王太子まで全員が反発を示す。
お抱えの医者「陛下! ムシンは淋病です
「なぜ? 治療しない?」
王に使える召使一同がストライキで、抗議する。
息子も母は乱心ということで、退位を要求。
女王は、勲章の授与にとどめた。
**
81歳をこえ
1901年1月、女王は臨終の床にあった。
女王「インドへ帰れ」
「最後までおそばに」
バーティ王太子ら家族が集まり、
特に政治的に対立していた孫のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世まで駆けつけていた。
女王は最期に『ムンシ』に会うことを望み、二人は言葉を交わす。
「あなたは わたしの 愛しい息子よ」
*
女王は崩御し、バーティ王太子が『エドワード7世』として即位した。
新国王は、アブドゥルと女王の親交の証拠となる品々を奪い、破壊させる。
失意のうちにアブドゥルは帰国。
住んだのはヴィクトリア女王の像がそびえ立つ付近。
8年後の1909年に死去する。
アブドゥルの日記が、2010年に発見されて、世に知られることになった。
THE END
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1887年、インド女帝でもある英国のヴィクトリア女王は在位50周年を迎えていた。
英領インドから女王への献上品である記念硬貨を捧げるために、
インド人アブドゥルとモハメドが選ばれ、二人は英国へ向かう。
女王と目を合わすことも禁じられていたが、
アブドゥルは女王の足に口づけした。
女王は「ハンサムね」と、一目ぼれしてしまう。
*
孤独だった
女王は、39年前に治世最初の首相だったメルバーン子爵を、
26年前に最愛の夫アルバート王配を、3年前に寵臣ジョン・ブラウンを、
と信愛を寄せた男性たちを次々に喪い、
さらに現在では長男のバーティ王太子はじめ子供たちとの関係も悪化し、
宮廷の因習と孤独の中にいた。
*
女王は、この『インド人』を話し相手として、
息子のように可愛がり、また『ムンシ』(師、を意味する)と呼んだ。
*
アブドゥルは、インドのことをいろいろと教えた。
女王は、未知の文化や、慣習にとらわれないアブドゥルに強く惹かれ、
旅行に同伴させる等、厚遇する。
周囲の反発を買うようになっていく。
やがてアブドゥルに妻がいたことを知ると、女王は激怒するが、
オズボーン・ハウスの別邸にアブドゥルの妻や母を呼び寄せさせる。
さらに、オズボーン・ハウス内に
インドのダルバールを模した豪華な部屋を作らせ、
アブドゥルにインド風の寸劇をさせて、側近たちに披露する。
この様子を目の当たりにしてソールズベリー首相はアブドゥルの排除を決心する。
首相の秘書の諫言により、女王はインド大反乱をめぐって、
アブドゥルがイスラム教徒寄りの偏った情報を教えたことに気が付く。
女王は嘘をつかれて激高した。
アブドゥルを英国本土から追放しようとする。
しかしよく考えると、嘘じゃなくて、女王を気遣ったことだとさとる。
彼を引き留める女王。
一方、バーティ王太子も、母である女王にアブドゥルの経歴を知らせ、
彼の『卑しい』出自を理由に排除しようとする。
女王は逆に、アブドゥルを貴族にすると言い出してしまう。
これには末端の使用人からバーティ王太子まで全員が反発を示す。
お抱えの医者「陛下! ムシンは淋病です
「なぜ? 治療しない?」
王に使える召使一同がストライキで、抗議する。
息子も母は乱心ということで、退位を要求。
女王は、勲章の授与にとどめた。
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81歳をこえ
1901年1月、女王は臨終の床にあった。
女王「インドへ帰れ」
「最後までおそばに」
バーティ王太子ら家族が集まり、
特に政治的に対立していた孫のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世まで駆けつけていた。
女王は最期に『ムンシ』に会うことを望み、二人は言葉を交わす。
「あなたは わたしの 愛しい息子よ」
*
女王は崩御し、バーティ王太子が『エドワード7世』として即位した。
新国王は、アブドゥルと女王の親交の証拠となる品々を奪い、破壊させる。
失意のうちにアブドゥルは帰国。
住んだのはヴィクトリア女王の像がそびえ立つ付近。
8年後の1909年に死去する。
アブドゥルの日記が、2010年に発見されて、世に知られることになった。
THE END
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