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ウスケボーイズ~概要ですが最後までネタバレ編

概要ですが最後までネタバレ

現代日本ワインの父 麻井宇介(ウスケ)

麻井が生み出した「桔梗ヶ原メルロー」。

日本を代表する赤ワイン。

*

山梨大学の学友である岡村、城山、高山に

上村邦子と伊藤繁之を加えた

ワイン好きは「ワイン友の会」を結成し、

定期的に集まっては

世界中のワインをテイスティングしてうんちくを語り合っていた。

ある日、フランスワインと日本ワインのブラインドテイスティングをしたところ、

並みいるフランスの高級ワインを抑えて

一位に入った日本ワインが「桔梗ヶ原メルロー」であった。

フランスワインを抑えてしまった。

「なんで こんなに美味いんだ?」


日本では良いワインはできないと偏見を持っていた

「ワイン友の会」のメンバーたちは、

この日を境に日本ワインの可能性を信じ、麻井に憧れ、

自分たちも「桔梗ヶ原メルロー」のような

日本ワインを造ってみたいと夢見るようになる。


*

麻井は、
1953年に東京工大を卒業後、
現在のメルシャンの前身である大黒葡萄酒に入社。
メルシャン勝沼ワイナリー等でワイン造りに携わり、
1989年の第35回リュブリアーナ国際ワインコンクールで
大金賞を受賞した「桔梗ヶ原メルロー」を生み出し、
日本ワインを世界の舞台に引き上げた。
また「比較ワイン文化考 教養としての酒学」(1981 中公新書)、
「ワインづくりの四季 勝沼ブドウ郷通信」(東書選書 1992)、
「ワインづくりの思想 銘醸地神話を超えて」(2001 中公新書)等、
数多くの著作を通じて後進の造り手を育成し、
栽培・醸造技術の向上に貢献した功績は多大である。




1994年の甲府。

岡村はワインの醸造も手がける大手食品会社に、

城山は長野県のワイナリーで働き、

高山は長野県小布施町の実家のワイナリーを継いでいた

「ワイン友の会」のメンバーたちは

「桔梗ヶ原メルロー」の生みの親である麻井とついに対面を果たす。

メンバーたちは著書で述べているようなワイン論が聞けると期待していたが、

麻井の口から出たのは意外な言葉だった。

「ピノ」は もう日本にあわない もう何年も失敗している。

失敗の情報をみんなで共有すべき。

日本にあるブドウで 勝負しなさい。

ワインは、人次第。

そして

「教科書は破り捨てなさい」

 実はこの言葉には多くのヒントが含まれていたのだが、

岡村、城山、高山はその意味がすぐには理解できずに、

文字通り教科書によらない三人三様のワイン造りをしてゆく。



1.岡村

自然まかせのワイン

同僚と結婚し大手食品会社を退職した岡村は、

上村と伊藤と4人で山梨県須玉町に

畑を借りてワイン用ぶどうの垣根栽培に取り組もうとするが、

ぶどうは植えてから実がなるまで3年かかり、

補助金や融資も受けられなかったため無収入が続く。

やがて一人去り、二人去り、

ついに妻にまで逃げられて

岡村だけが残ることになってしまった。

以来、畑のそばのプレハブ小屋にこもり、

誰とも会わずぶどうだけと対話するという生活を送る岡村。

「ワインとは何か?」「自然とは何か?」

自分に問いかけた結論としてのワイン造りは、

基本的にぶどうをタンクに入れて、

それが自然に発酵するのを待つだけというシンプルなものとなった。

酸化防止のための亜硫酸も入れなければ

アルコール度を上げるための補糖もしない。

またぶどう畑は不耕起のオーガニックと

まさに“自然まかせ”である。

でもそうするためには通常のワイン造りの何倍もの手間がかかる。

「岡村君は決して妥協しないワイン造りをすると思うよ」

という麻井の言葉通りのワイン造りを実践。

毎日の畑の手入れが肝心。

そして素晴らしいワインが誕生。

弟子入りする女性まで登場。

「OLを、やめてきました。手伝わせてください」


2.城山

ワイナリー在職中にお見合い話があり、

ぶどう農家の娘と結婚。

後継者として婿入りした。

栽培しているぶどうは生食用だったが、

休眠中だった畑にワイン用ぶどうを植えるなどして徐々に面積を増やし、

義父や妻の理解を得たうえで会社を辞め、自分のワイナリーを作った。

自然にまかせるのではなく、

ぶどうやワインに積極的にアプローチしていくのが城山のやり方。

垣根仕立てに

こだわらずスマートマイヨルガーという密植の棚仕立ても行う。

必要なら農薬も使うし亜硫酸も添加する。

そして最も大切なのは“家族”。

岡村とは全く対照的だが、

高品質でおいしいワインを作りたいというゴールは同じ。

**

3.高山

実家は観光ワイナリーで、生食用の巨峰を使った

“おみやげワイン”やりんご、梨、ブルーベリー等のフルーツワインが主力で、

ワイン用ぶどうは栽培していなかった。

ワイン用ぶどうの栽培を提案した高山は父親に反対されるが、

祖父が自分の畑を使えと言ってくれて

複数の品種のワイン用ぶどうを垣根仕立てで植えた。

当初は晩腐病(おそぐされびょう)に苦しめられ農薬を使っていたが、

ある年、ヒョウで壊滅状態になって放置していた畑に

被害を免れたぶどうが立派に育っているのを見て、

殺虫剤、防かび剤、化学肥料等を使わないビオロジック農法に転換する。

そして、リュブリアナ国際ワインコンクールをはじめ、

数々のコンクールで賞を獲得するまでになった。



続々 世界に誇るワインが日本で誕生して、

ウスケの申し子、「ウスケボーイズ」と呼ばれた。

THE END
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