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ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ ~完全あらすじ編

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映画の最後まで完全ネタバレです。

1937年、ジョージ・M・コーハンはほぼ10年ぶりに舞台にカムバックした。

この作品でコーハンはフランクリン・D・ルーズベルト大統領を演じたが、

何とその大統領自身からホワイトハウスへの招待の電報が届いた。

そこでコーハンは大統領と対面し、自分が歩んだ道を回想する。

彼の父ジェリー・コーハン、母ネリーはともに地方回りの芸人だった。

やがて妹ジョニーも生まれ、一家はコーハン4人組として巡業を続けた。

旅から旅の暮らしでコーハンも大人になり、あるとき白髪の老人役をやった。

その舞台を見ていたのがのちに結婚することになるメーリー。

コーハンは彼女の歌を認め、

劇場主に無断で自作の歌をうたわせたことが原因で劇場主と大ゲンカ、完全にほされてしまう。

そこで作詞・作曲の仕事に活路を求めるが、買ってくれるところもなく失意のドン底をはい廻るが、

のちに製作者としてコンビを組むことになるサム・H・ハリスとめぐり会い、

ついに「リトゥル・ジョニー・ジョーンズ」の上演にこぎつけた。

これは初期のコーハンの代表作となり、彼はスター街道を歩み始める。

ブロードウェイにはジョージ・M・コーハンの時代がやってくる。

やがて第2次世界大戦が始まる。

コーハンは入隊を志願したが年齢オーバーではねられ、代りに前線慰問に情熱を注いだ。

1920年代のブロードウェイは以前にも増してコーハンの時代になり、いくつもの劇場で彼の作品が上演された。

仕事の上では絶頂期を迎えたが、代りに次々と家族の死に見舞われた。

プロデューサーのサム・H・ハリスとも長年のコンビを解消、1928年の「ビリー」で引退。

妻のメーリーと世界旅行に出て、帰国後は農場で暮らすようになった。

10年もたつと彼の名前すら知らない若い人が出てくる、そんな時代になった。

その頃、旧友サム・H・ハリスからカムバックの要請が来た。

それが「私はむしろ正しくありたい」だった。

長い回想が終わったとき、大統領は彼に名誉勲章を授けた。

THE END


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