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植村直己物語~完全あらすじ編

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映画の最後まで完全ネタバレです。

世界初の五大陸最高峰登頂者

主な登山・冒険歴
1965年4月23日 - ゴジュンバ・カン登頂
1966年7月25日 - モンブラン単独登頂
1966年10月24日 - キリマンジャロ単独登頂
1968年2月5日 - アコンカグア単独登頂
1968年4月20日 - 6月20日 - アマゾン河6,000km単独筏下り
1970年5月11日 - エベレスト登頂(松浦輝男とともに日本人初登頂)
1970年8月26日 - マッキンリー単独初登頂(世界初の五大陸最高峰登頂成功)
1971年1月1日 - 冬季グランド・ジョラス北壁完登
1971年8月30日 - 10月20日 - 日本列島3,000kmを徒歩で縦断
1972年9月4日 - 1973年2月4日 - グリーンランド北端シオラパルク村のエスキモー宅に単身寄宿し共同生活
1973年2月4日 - 4月30日 - グリーンランド3,000km犬ゾリ単独行
1974年12月29日 - 1976年5月8日 - 北極圏12,000km犬ゾリ単独行
1976年7月 - エルブルスに登頂
1978年4月29日 - 犬ゾリ単独行で北極点到達(単独到達世界初)
1978年8月22日 - 犬ゾリ単独行でグリーンランド縦断成功
1982年8月13日 - 冬期アコンカグア第二登達成(共同)
1984年2月12日 - マッキンリー冬期単独登頂(世界初)


グリーンランドのシオラパルクに滞在し、

3000キロの犬ぞりによる単独行を成し得た植村直己は、久しぶりに東京に戻って来た。

彼は駅の階段で偶然落とし物で、からんだ女性と、その日馴染みの店で再会した。

そして数日後、その女性(野崎公子)に自分の著書をプレゼントする。

それを読みながら、これまでの植村の人生を知る公子。

明治大学山岳部に入ったが、山登りでは落ちこぼれだった植村は、

一念発起して体力作りをして登山を重ねた。

卒業後4万円だけ持って、横浜より移民船で渡米してアルバイトで千ドル貯める。

だが、労働ビザが無いため、不法労働で国外追放され、

フランスに渡り、そこでバイトしてモンブラン登山を計画。

明大がヒマラヤに登ることになる参加。

第一アタックチームは登頂を断念して、急遽植村が第二アタックをすることに。

何度もくじけたが難関のゴジュンバ・カン初登頂に成功。

このヒマラヤ行には金を出していないので、気が引けた植村は帰国せずに、

約900キロを歩いてフランスに帰る。

団体登頂は合わないと感じた彼は、

その後、モンブラン、マッターホーン、キリマンジャロ、アコンカグアなどを単独で登った。

日本初のエベレスト登山に参加。

第一アタック隊は雪崩で死亡。

植村は第二次アタック隊に参加するが、数名死亡。

1970年5月第三アタック隊として日本人として初めてエベレスト山頂に立った。

三人が登頂したが、他のメンバーが登れずに喧嘩となり、それで植村は団体登山をやめる。

3ヵ月後、北米最高峰マッキンリー単独登頂に成功、5大陸最高峰すべてを征服する記録をたてた。

その後一般の職につくがどれも長続きせず冒険家として生きることに。

同年4月、イギリスBBCが主催し、アメリカ人のノーマン・ディレンファース隊長率いるエベレスト国際隊へ

伊藤礼造と参加しネパール側南壁制覇を目指して再びエベレスト登頂を目論むが、

インド人のハッシュ・バフグナ隊員の遭難以降

各国からの代表を寄せ集めた国際隊は互いの利害関係が徐々に表面化し、失敗に終わった。

以後、登山から極地冒険にシフトする。

そして、エベレスト国際登山隊に参加。

本を読み終った公子は、植村のプロポーズを承諾する。

公子は母に言う。

「私みたいな女でも、そばにいてほしいと言われたの」

1974年、二人は結婚した。

間もなく、植村は北極圏12000キロの犬ぞり単独行を1年半近くかけて成し遂げた。

結婚しても、夫からの生活費はゼロ、それを承知の公子。

78年4月、寒さと戦い、危く白熊に襲われそうになりながらも、

犬ぞりで北極点単独到達に成功した。

世界初で、資金1億円は千円募金で。

その間、公子は流産。

1979年、イギリス王室ビクトリア・スポーツ・クラブから
優れた冒険家に贈られるバラー・イン・スポーツ賞を受賞するなど
世界的な名声と評価を獲得した。

その後、これを最後にと南極大陸横断計画をたてるが、

フォークランド紛争のためアルゼンチン政府の協力を得られず断念する。

彼は冒険をやめたら自然学校を作る夢を持っていた。

その勉強を兼ねてアメリカのミネソタ州にある野外学校に参加するため渡米。

ついでにアラスカでマッキンリー登頂を目指した。

84年2月、マッキンリー冬期単独登頂後に消息を断つ。

懸命の捜索にもかかわらず発見されず、

日本政府は死亡が確定的になった4月19日、彼の輝しい業績に対して国民栄誉賞を贈った。

6月19日にはデンマーク政府により、1978年のグリーンランド縦断の際の到達点であったヌナタック峰を、

植村の功績を称え「ヌナタック・ウエムラ峰」と改称することが決定した。

8月、北極点・グリーンランド縦断のゴールであるナルサスワックに

植村の功績を伝えるためのレリーフが設置された。

1994年、故郷である豊岡市日高町の神鍋高原に植村直己冒険館が開館。

また公子夫人と有志によって記念館と植村直己自然学校が設立された。

THE END
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