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4.めぐりあう時間たち~バナナフィッシュ


作家は小説で実験を行う。

学生の頃 サリンジャーの小説

「バナナフィッシュにうってつけの日」を読んで

かなりな衝撃を受けた。

なぜシーモアはいきなりズドーン(自殺)なのか

文脈や会話をなんども熟読したものだ。

しかし訳がわからない。

心憎いほど自分をモヤモヤさせてきた作品なのだ。

でもこの「ダロウェイ夫人」を考えていて

ひとつの結論に達した。

シーモアの自殺の理由を「バナナフィッシュにうってつけの日」

の作品で、探しても意味がないのだ。

この小説はサリンジャーの実験なのだろう

つまりウルフのやり方と同じなのだ。

心に落ちる微粒子を、落ちる順序通りに記録

筋は重要ではない

<意識のながれ>とも言う。

「バナナフィッシュにうってつけの日」とは

軍隊を除隊したシーモア・グラスは、

妻ミュリエルとフロリダへ静養に来ている。

妻は、ホテルの部屋でニューヨークの母親と長距離電話をしている。

シーモアは、海岸でシビルという少女と話をしている。


シーモアの想像の産物である「バナナフィッシュ」の話しをする。

バナナフィッシュは、バナナを食べ過ぎて穴の中から出られなくなり

そのままバナナ熱で死んでしまうのだ。

その魚をシビルは見たという。

しばらくして、シーモアは部屋に戻り

母親に電話?? (記憶が定かでなくもう一度読み直す必要あり)

ピストルでコメカミを撃ち抜いて自殺する。


さて、もうひとり<意識の流れを>

を追求したのが夏目漱石であることも

ここに記しておきます。

==

ウルフは入水自殺しているが

作家の実験というか表現方法に自殺もあるのかと思う。

芥川龍之介が自殺した時、末期の眼という言葉を残す。

これが最期だという思いでいろんなことに臨むと、

見える景色も変わってくるような意味だろう。

彼は死を前にして、
「自然はこういう僕にはいつもよりいっそう美しい」と言い

「自然の美しいのは僕の末期の眼に映るからである」と述べた。

芥川のこの言葉に触れて、川端康成は「末期の眼」という評論を書いている。

川端も自殺した。

川端康成は、写真で三島由紀夫の首が転がってるのを見てから

少しおかしくなってしまったらしい。


三島由紀夫は表現のひとつで、自決という表現を使ったと思う。

太宰は自殺する気はなかった。

女性に無理心中させられたのだと思っている。

「グッドバイ」第一章だけの彼の遺作を読んでも

次の展開を考えていたと思う。

この作品が完成すれば、かなりイケテル小説になるはずだったと思う。


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