5.めぐりあう時間たち~映画ヴァージニア・ウルフなんかこわくない



映画ヴァージニア・ウルフなんかこわくない(1966)

この映画で はじめて言われるようになったのは「FUCK」

マイク・ニコルズ監督「卒業」のデヴュー作

僕は作家ヴァージニア・ウルフとこの映画の関連性がわからない。

「狼なんかこわくない」と歌っていて、

その替え歌で、単純にヴァージニア・ウルフをつけたら

みんなが笑って受けたので、

それから「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」

と言い出した。それだけのようだ。

この映画は4人だけで演じられる。

役割は言い争い、喧嘩、泥酔の演技ばかりで

俳優としてのイメージを悪くするだけ。

この4名(リチャードバートン・エリザベステイラー夫妻他)が

わざわざ、この汚れ役を演じた勇気におそれいる。

アカデミー賞主演女優賞・助演女優賞獲得。

僕の中で、この映画をどう、これまでのとリンクさせたらいいか

思案中ですが恐ろしい筋書きです。

最後まで4名が、ののしりあう映画です。

死んだのか、本当にいたのかわからない息子の幻想におびえる妻

その病んだ心がヴァージニア・ウルフと共通するのだろうか?

この映画は死について何も語っていない。
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4.めぐりあう時間たち~バナナフィッシュ


作家は小説で実験を行う。

学生の頃 サリンジャーの小説

「バナナフィッシュにうってつけの日」を読んで

かなりな衝撃を受けた。

なぜシーモアはいきなりズドーン(自殺)なのか

文脈や会話をなんども熟読したものだ。

しかし訳がわからない。

心憎いほど自分をモヤモヤさせてきた作品なのだ。

でもこの「ダロウェイ夫人」を考えていて

ひとつの結論に達した。

シーモアの自殺の理由を「バナナフィッシュにうってつけの日」

の作品で、探しても意味がないのだ。

この小説はサリンジャーの実験なのだろう

つまりウルフのやり方と同じなのだ。

心に落ちる微粒子を、落ちる順序通りに記録

筋は重要ではない

<意識のながれ>とも言う。

「バナナフィッシュにうってつけの日」とは

軍隊を除隊したシーモア・グラスは、

妻ミュリエルとフロリダへ静養に来ている。

妻は、ホテルの部屋でニューヨークの母親と長距離電話をしている。

シーモアは、海岸でシビルという少女と話をしている。


シーモアの想像の産物である「バナナフィッシュ」の話しをする。

バナナフィッシュは、バナナを食べ過ぎて穴の中から出られなくなり

そのままバナナ熱で死んでしまうのだ。

その魚をシビルは見たという。

しばらくして、シーモアは部屋に戻り

母親に電話?? (記憶が定かでなくもう一度読み直す必要あり)

ピストルでコメカミを撃ち抜いて自殺する。


さて、もうひとり<意識の流れを>

を追求したのが夏目漱石であることも

ここに記しておきます。

==

ウルフは入水自殺しているが

作家の実験というか表現方法に自殺もあるのかと思う。

芥川龍之介が自殺した時、末期の眼という言葉を残す。

これが最期だという思いでいろんなことに臨むと、

見える景色も変わってくるような意味だろう。

彼は死を前にして、
「自然はこういう僕にはいつもよりいっそう美しい」と言い

「自然の美しいのは僕の末期の眼に映るからである」と述べた。

芥川のこの言葉に触れて、川端康成は「末期の眼」という評論を書いている。

川端も自殺した。

川端康成は、写真で三島由紀夫の首が転がってるのを見てから

少しおかしくなってしまったらしい。


三島由紀夫は表現のひとつで、自決という表現を使ったと思う。

太宰は自殺する気はなかった。

女性に無理心中させられたのだと思っている。

「グッドバイ」第一章だけの彼の遺作を読んでも

次の展開を考えていたと思う。

この作品が完成すれば、かなりイケテル小説になるはずだったと思う。


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3.めぐりあう時間たち バージニア・ウルフは怖い



「ダロウェイ夫人」の作者である

バージニア・ウルフは語る

死は一時の中断にすぎない。

魂は続くのある。

人は肉体として在る限り、

「離れ離れ」で生きるほかない。

○心中賛美

心中することは肉体という条件を越えること

死ぬことは恐ろしいことではない。

死とは完全な幸福であり、魂の融合である。

現世では成就不可能なことを希求するが故に、他界する。

バージニアウルフが現代小説論で主張

「心に落ちる微粒子を、落ちる順序通りに記録」する

捨象・選択・秩序づけなどの行為を一切拒否 

それは<まとめる>ことの拒否である。

従来の小説作法で

半ば当然とされた「要約」や「性格」や「心理」に背を向けた時

作家が向かい合うのは現実の人間であり人生である。

そして

「(小説には)筋は重要ではない」

自分は思った。

「ふざけるな」

そして失礼かもしれないが「彼女に狂気を感じた」

そのことを自分の意識中で彼女に問いかけているが

反応はない。

バージニア・ウルフは精神的に病み出して、苦悩する場面が

映画「めぐりあう時間たち(2002)」にも見られる。

バージニア・ウルフは小説について、突き詰めすぎて

本来読者あっての小説であることから

遠のいているように感じた。

====

エッセイ<恋愛映画を話そう>
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2.めぐりあう時間たち ダロウェイ夫人



写真はヴァージニア・ウルフ

映画「めぐりあう時間たち(2002)」を観て

なんだ この映画は?

感動などしない。

しかし演ずる役者たちは真剣。

どうもこの映画で えがかれている

「ダロウェイ夫人」がわからないと理解できないようだ。

それで小説「ダロウェイ夫人」を読みました。

ダロウェイ夫人(Mrs Dalloway)は、1925年に

発表されたヴァージニア・ウルフの長編小説で、

読書感は これが小説?? 

あらすじは、ほとんどないのも同然。


英米ではこの小説「ダロウェイ夫人」と

作家ヴァージニア・ウルフ(Vウルフ)はかなり有名なようだ。

この小説が出版された1925年とは大正14年で

モダニズムと言われる芸術運動が起こり、従来の19世紀芸術に対して

伝統的な枠組にとらわれない表現を追求しようとした。

Vウルフもその流れにそって新しい小説を作ろうと実験をおこなう。

彼女が書いた10作の小説の中で4作目が「ダロウェイ夫人」で

この小説は「意識のながれ」を主眼にした実験小説で

ストーリーの発展はなく、ダロウェイ夫人がPARTYを開く1日を

朝から夜まで、夫人が意識したもの去来したものを小説にしている。

夫人はPARTY終了後に自殺することになっていたが、

次作との関連で生かすことにしたのか?

分身のピーターを設定して、その分身を自殺させて、

夫人はその自殺に対して喜びを感じるのである。

夫人を自殺させないと決心する件は、

映画「めぐりあう時間たち(2002)」にも出てくる。


Vウルフは彼女の小説論で主張する。

「人生は影の行列にすぎない。」

「死は挑戦である。死は伝達の試みである」

死はものの本質・実在・現実に達することであり、

その時<精神>は不滅の魂となり永遠に連なる。

精神は充足と安らぎに憩い、「死には抱擁がある」

何か 死に対して積極的で、東洋の思想のように思えた。

====

もう一度、

映画「めぐりあう時間たち(2002)」のおさらい。

この映画は

小説「ダロウェイ夫人」と

作者であるヴァージニア・ウルフをはじめ、

それにかかわる2人の女性を描くドラマで

各々1日だけをえがく。

つまり

1923年のイギリス・リッチモンドでのヴァージニアの1日。
  「ダロウェイ夫人」を執筆して入水自殺

1951年のロサンゼルスでのローラの1日。
  「ダロウェイ夫人」を読みふける、自殺を試みようとする。

2001年のニューヨーク・マンハッタンでのクラリッサの1日。
  クラリッサはダロウェイ夫人とあだ名されていた。

時間・場所の違う3人の女性の1日がはじまり、めぐりあっていく。

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めぐりあう時間たち



映画「めぐりあう時間たち(2002)」

写真はニコール・キッドマン(別人のようでしょ)

恋愛映画だと思っていたら

とんでもない、かなりヘビーな、重い映画でした。

アカデミー賞9部門にノミネート

ニコール・キッドマンがアカデミー主演女優賞を受賞

以下の3つの主人公がひとつのキーワードで、

時間軸がバラバラでストーリーが展開する。

映画バベル(2006)は、この作品の影響がありあり。

女性の複雑な思い、小生(男)には理解できないが

そのようなものを垣間見た気がする映画だ、複雑。

ヴァージニア・ウルフの
『ダロウェイ夫人』を読んでいないと難しいらしい。

1.ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)

夫の人生をこれ以上駄目にしたくないと入水自殺する
妻(ヴァージニア・ウルフ)  

=>映画「髪結いの亭主」を連想

2.ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)

『ダロウェイ夫人』を愛読する妊娠中の主婦ローラ・ブラウンは、
夫の望む理想の妻を演じることに
疲れながらも理想の妻になれない苦悩に悩み
失踪する。

=>なぜ失踪するの?? 男にはわからない。

3.クラリッサ(メリル・ストリープ)

病に冒された友人(元彼?ローラ・ブラウンの長男)を
何年も看病するが
彼はこれ以上駄目にしたくないと自殺。
これまで自我を抑えていたものがなくなってしまう。

=>複雑な三角関係、それも男2×女1である。

テーマは
人生は誰のために生きるべきなのか?

ニコール・キッドマンの演技に驚き、
最後まで自分が観ていた映画の
彼女だと思えなかった、別人だと思った。

メリル・ストリープ、この方とヴァネッサ・レッドグレイブの二人は
同じような雰囲気を持っていて好きな俳優です。
今回映画ではメリル・ストリープの寝起きの顔がリアルすぎる。

セリフはかなりグッと来るものが多いが
以下のセリフが有名のようだ。

人生に立ち向かい
 いかなる時も
 人生から逃れようとせず
 あるがままを見つめ
 最後には受け入れ
 あるがままを愛し
 そして立ち去る

女性心理の複雑模様にひたれる映画だが
とても気が重くなる。

4回にわたって追記
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